・講座名 : 第12回シビックカフェ / 鹿児島とクスノキ
・開催日 : 2017年6月28日(水) / D-Linxs


先日開催されましたシビックカフェ・香りの講座のご報告です。
今回はクスノキとその仲間である芳樟について、鹿児島における歴史を絡めながらの講座となりました。

 

【講話の要約】

クスノキはクスノキ科の高木で、主に中国南部、台湾、日本に生育しています。多量の樟脳(カンファー)を含んでいるため腐りにくく、また、柔らかく加工がしやすかったため、日本でははるか昔から仏像や船の製造に使われていました。その樟脳を日本で初めて製造したのが薩摩藩です。寛永年間(1624~43)には長崎の出島を通じてオランダや中国に薩摩の樟脳が輸出されたという記録が残っているので、製造はその前からということになります。一番有力な説は1598年頃、島津義弘が連れてきた朝鮮人が始めたというものです。

当時、樟脳を抽出する道具として欠かせなかったのが「素焼の鉢」です。この鉢の出来具合で樟脳の採れる量が増減したため、朝鮮人たちはこの鉢作りに邁進します。この事が、薩摩焼の技術向上に貢献したと言われています。薩摩焼発祥の地「美山」は、樟脳製造発祥の地でもあるのです。鹿児島にクスノキがたくさん生育していたことが、薩摩焼の発展にもつながっていたのです。

その樟脳は砂糖・櫨蝋についで薩摩の主力商品で、主にヨーロッパに輸出され「サツマカンフル」と呼ばれ医薬品として利用されていました。その利益により武器などを購入、明治維新の活動資金になったそうです。また、藩が厳しく木を管理し、盗んだものには厳しい罰則がありました。一方で、枯渇しないようクスノキの造林も命じました。

明治時代クスノキが豊富に生育する台湾を日本が併合することにより、世界の樟脳のほぼ全てが日本産となりました。ただここで一つ問題が起こりました。台湾のクスノキには樟脳のとれないものが混ざっていたのです。

それが「芳樟」でした。当時は樟脳の採れない厄介者としてたいへん嫌われていた芳樟ですが、明治45年にこの葉の成分がリナロールとうことが判明し、以後天然香料の供給源として大々的に栽培が始められました。そしてその種子が日本にも導入され、開聞岳の麓(現・香料園)に植栽されるようになりました。

昭和38年には芳樟生産組合が設立され、鹿児島県は特殊林産振興計画に芳樟を入れ、研究が行われるようになりました。最盛期の昭和40年前半には栽培面積が32ヘクタールになり、年間で5トンの芳樟エッセンシャルオイルを抽出し主にヨーロッパへ輸出していました。しかし昭和47年、合成リナロールの広まりと共に需要が減り県の芳樟事業も終了、組合も解散します。芳樟の終焉は天然香料終焉の時代でもありました。

時が経ち2000年、アロマセラピーが広がりはじめ、再び天然香料が着目されるようになりました。
当園でも再び芳樟の蒸留が始まり、その効果効能に注目が集まっています。

 

【香り体験とスプレー作り】

講話の後は、実際にクスノキや芳樟などの香りを体験しました。芳樟の香りを初めて体験される方もおり、その甘い香りに驚かれていました。その芳樟の精油を使い、ルームスプレーを作っていただきました。芳樟の香りをお気に入りの香りにしてくださると嬉しいです。

次回は7月15日(土)に、「アロマと芋焼酎~薩摩の郷土菓子とともに」を開催します。焼酎を香りの観点からひもときながら、焼酎の新しい楽しみ方をご提案致します。また、同じシビックカフェ拠点施設の鳥越屋さんとの共同開催ということで、薩摩の郷土菓子のお話もございます。

サツマイモからできる2つの鹿児島の特産品についてみなさんで学んでみませんか。ご参加をお待ちしております。