曽田香料史

曽田香料株式会社の社史が創設60年、70年の時に出版されています。タイトルは前者が『香料とともに60年』、後者が『曽田香料70年史』。

60年史の方は創設者の曽田政治氏が執筆し、氏の生い立ちから始まり、香料会社を立ち上げた経緯などが自叙伝的に書かれています。氏の香料人生は、いわゆる丁稚奉公からはじまります。そこから独立を経て香料を輸入したり、時にはそれらをブレンドしたりして、取引先の要望に沿った香りを作る調香師のようなこともしていたそうです。

戦時中は海軍の命を受け東南アジアにカユプテ油の製造に赴いたり、空襲から精油を守るため庭に埋めて隠したりと、想像を絶するような苦労をへて、日本の一大天然香料会社となりました。このまま某放送局の朝のドラマになりそうな、そんな激動の人生、たいへん読み応えがあります。

(当時カユプテ油は、アルミニウムの原料のボーキサイトの浮遊選鉱剤として使われていたそうです)

70年史の方はいわゆる社史で、70年のあゆみからはじまり、製造している食品香料や工業用香料、合成香料、天然香料について書かれています。天然香料の項目では「鹿児島農場の思い出」としてコラムが掲載されていました。少し長いですが一部引用いたします。(P146~147)

「昭和26年ころは就職難時代であったから、そんなとき『川尻(注:会社の所在地名)の香水会社』に入社できたという、誇らしい喜びで初出勤したことを思い出す。(略)

従業員は農場長以下、現地採用の者も入れて30名内外、早朝7時には事務所前に集合して、開聞山中腹の第一農場まで片道50分、牛車を引いて作業に出かけるのが日課であった。(略)

農場は、ゼラニューム、レモングラス、ベチバー、パチュリー、芳樟をはじめ、ニオイアカシア、ジャスミン、チュベローズ、くちなしなど、さながら香料植物の見本園であった。(略)

農作業のなかでいまだに忘れられないのは、芳樟の一筆調査である。優良品種選抜のため、文字どおり1本ごとに克明に記録をつけるのだが、これには農場長をはじめ全従業員が一致協力して働いた。思い出すたびに、この仕事にはいまも誇りを感じている」

タイムマシンがあったら、この時代をぜひ見てみたいですね。

文 : 宮崎 利樹 / 開聞山麓香料園 副園長

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