【 満席になりました 】2019年度、初の講座を開催します。7月26日(金) 14時から。

香料園の歴史

インタビューとライブラリー。

Since
1941

開聞山麓香料園の歴史を振り返ります。

〜 はじまりは1本のローズ・ゼラニュームから 〜

日本における天然香料の農場、その歴史は70年あまりになります。昭和のはじめ、それまで輸入に頼っていた香料が戦争の影響もあり、輸入が難しくなっていました。 このことに危機感を持った曽田香料の創始者・曽田政治氏は、国内での香料製造をするべく様々な香料植物の試験栽培を始めます。

同じ頃に宮﨑巌 (当園創始者) は、珍しい植物を育て増やし、管理する仕事をしていました。その中にバラのような香りをもつ「ローズ・ゼラニューム」がありました。この植物を曽田氏にすすめたところたいへん気に入り、曽田氏はローズ・ゼラニュームの栽培に乗り出しました。

開聞山麓香料園の歴史、インタビューを交えてご紹介いたします。

インタビュー

香料園と歩んだ、浜上さんにインタビュー。

→ 2019.6.30 / Vol.01 公開しました。

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ライブラリー

当園に残っている書籍・香料などの歴史。

→ 2019.6.30 / 第1回 + 第2回 公開しました。

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インタビュー

「香りを作ってきた町・開聞」

〜 香りと共に70年、香り作り一筋70年 〜

曽田香料創始者・曽田政治氏は、日本国内で天然香料を製造するため、北は北海道、南は鹿児島で香料植物の栽培を始めました。中でもここ鹿児島・開聞岳の麓で育ったローズ・ゼラニュームは、ヨーロッパのそれと比べても遜色のない香りを作り出しました。今回は創業当初から蒸留に携わっていた方に、当時のお話を聞きました。当時を知る唯一の方の貴重なお話です。

話し手 / 浜上 一美 (開聞山麓香料園 元職員)
聞き手 / 宮崎 利樹 (開聞山麓香料園 副園長)

Background
インタビューの話し手

浜上 一美 さん

はまうえ かずみ
昭和6年2月14日生まれ。旧開聞町川尻 (現:指宿市開聞川尻) 出身。

20歳の時に曽田香料で働き始める。蒸留・ハーブ栽培と、全ての仕事に携わり、曽田香料撤退後も蒸留工場のメンテナンスや農場の管理、後進の指導に尽力。

インタビューの聞き手

宮崎 利樹

みやざき としき
昭和46年2月2日生まれ。開聞山麓香料園 副園長。

子供の頃からハーブ農場を遊び場とし、ハーブに触れながら育つ。香料園入社当初はレストランを担当し、ハーブを使った料理やスイーツを提供。2010年より工場担当となり、精油抽出をはじめる。

Q1. 開聞山麓香料園は昭和16年、曽田香料鹿児島農場として誕生しました。浜上さんは戦後すぐ入社されたそうですが、当時の様子はどうでしたか。

私は20歳で入社しました。当時は戦後間もない頃で、開聞地区には働き口がなかなか無い中「東京の香料会社」で働けるというのはたいへん恵まれていたと思います。私が入社した頃は、30~40人が働いていました。女性もけっこういました。当時は日当が30円でその頃としてはとても給料がよく、ありがたかったことを覚えています。(浜上)

ローズゼラニウムの収穫作業 / 昭和25年頃

Q2. どのような仕事をしていましたか。

入社当初は香料植物の収穫と畑の草取りをしていました。数年後には蒸留や苗作りもするようになりました。仕事の流れは7時に事務所へ出社したら掃除をして、その日の人数分の飲み水を井戸からくみ上げ、それを持ってそれぞれ担当の農場へ向かいます。畑は第一農場、第二農場、第三農場と三つあり、第一と第三がローズ・ゼラニューム、第二がレモングラスの畑でした。それぞれ10人くらいずつ担当がおりました。農場へはみんなで歩いて行きます。当時はまだ車がありませんでしたから。

蒸留用に収穫したものは、牛車に載せて事務所横にある蒸留工場へ持っていきます。牛車に載りきらないぶんは、人力で運びました。女の人も両腕に抱えて運んでました。そして集まったものをどんどん蒸留していきます。(浜上)

レモングラスの収穫作業 / 昭和30年頃

Background

Q3. 当時の蒸留工場の様子を教えてください。

その頃は500㎏の蒸留釜が3基、ボイラーが4基ありました。多い時には、1日5 – 6回蒸留していました。当時のボイラーは、薪を使って沸かしていたのですが、ボイラー専属の人がおりました。その方は、Hさんというのだけど、戦前に満鉄 (注:南満州鉄道株式会社) で蒸気機関車の機関士をしていてボイラーの取扱いに精通していたため、その腕を買われて入社したそうです。

私も入社してしばらくしてからボイラーの手伝いをするようになったのですが、とにかく暑くて暑くてたいへんでした。また、ボイラーの扱いも非常に難しくて、覚えるまでにだいぶ時間がかかりました。と言うのも、このHさんがとても職人気質の方で「見て覚えろ」というタイプの人でしたから、全然教えてくれないんです。

ある時、このHさんが休んだ時があって、だけどもどうしても蒸留をしないといけなくて、先生 (注:農場長の宮崎巌) に「浜上君、君がやってみなさい」と言われ、私が蒸留することになったのですが、ボイラーの蒸気栓の調節がうまくいかず圧力がかかりすぎて、蒸留釜の蓋が吹っ飛んだことがありました。

他の社員も、一回は蒸留釜を吹っ飛ばしてます (笑) 。それくらいボイラーの扱いは難しかった。だから自動のボイラーになった時は、ほんとうに楽になりました。(浜上)

釜に芳樟を詰め込む / 昭和30年頃

芳樟のオイル抽出 / 昭和30年頃

Q4. 当時の蒸留方法、抽出した精油や蒸留水について教えてください。

収穫したものは10kgくらいずつに束ねて工場へ運びます。蒸留釜にハシゴをかけて、そこからどんどん釜の中へ入れ、それを釜の中に入った人が足で踏み込んでいきます。目いっぱい、入るだけ入れて蒸留していました。当時はとにかく量を採ることが大事だったので、あふれんばかりの葉を釜に詰めていました。

それを1日5 – 6回やるわけです。冬はまだしも夏の作業はほんとうに暑くて大変でした。特に蒸留後の葉を釜から出すとき、ものすごい蒸気の熱が工場中に充満します。みんな汗びっしょりになって働いていました。

採った精油はドラム缶に入れて、東京の曽田香料の本社へ輸送しました。蒸留水は指宿のホテルがお風呂に使いたいという事で、タンクに入れて持って行ってました。抽出した後の葉っぱは腐葉土として畑にまいて、無駄なく利用していました。(浜上)

当時は500kg用釜が3基ありました / 昭和30年頃

釜に入り、葉を踏み固めます / 昭和30年頃

Coming Soon

インタビュー / VOL.02
続きは近日公開!

ライブラリー

貴重な資料・商品の歴史。開聞山麓香料園で保管する「国内天然香料の記録」をご紹介致します。

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